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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
エンタープライズ(USS Enterprise, CV-6)は、アメリカ海軍の航空母艦。ヨークタウン級航空母艦の2番艦。アメリカ海軍においてエンタープライズの名を受け継いだ艦としては七隻目にあたる。愛称はビッグ E。その外ラッキー E、グレイゴースト、ギャロッピングゴーストもある。 太平洋戦争においては米海軍の旗艦として重要な役割を果たした。太平洋戦争開戦前に建造され、終戦まで無事に生き残った三隻の航空母艦のうちの一隻(他の二隻はサラトガとレンジャー )であり、20の従軍星章(バトルスター)を得た。またイギリス海軍から他国籍の海軍艦艇として唯一、英国海軍本部ペナントを受章するなど、第2次世界大戦でもっとも勲章を受けたアメリカ海軍の軍艦となった。 == 艦歴 == 1934年7月16日にニューポート・ニューズ造船所で起工され、1936年10月3日に海軍長官クロード・A・スワンソン夫人のルーリー・スワンソンによって命名、進水、1938年5月12日に初代艦長ニュートン・H・ホワイトジュニアの指揮下就役した。起工にあたっては日本側に通告をおこなっている。 就役後、エンタープライズはリオデジャネイロへの慣熟航海を始め、1939年4月まで東海岸からカリブ海で訓練を行った。その後太平洋へ配属となり、最初の母港はサンディエゴで、続いて真珠湾が母港となった。太平洋でエンタープライズは搭載航空団の訓練を行い、太平洋のアメリカ軍基地へ航空機の運搬を行った。1941年12月2日にウェーキ島への海兵隊第211戦闘航空団の輸送を完了した。そのまま12月7日(ハワイ時間に、真珠湾に寄港する予定であったが、12月6日に重巡洋艦ノーザンプトンのスクリューが事故を起こし、潜水夫を降ろして修理作業を行ったため予定がずれ込んだ。 結果、日本海軍による真珠湾攻撃(現地時間12月7日)はエンタープライズが不在の港を攻撃する形になった。 真珠湾攻撃当日、普段エンタープライズが使用していたフォード島の F-11 埠頭は標的艦ユタが停泊していたが南雲機動部隊の攻撃隊により撃沈された。ユタの残骸は艦内に乗組員の遺体を閉じ込めたまま現在も真珠湾に現存する。 真珠湾攻撃でハワイを攻撃されたため、エンタープライズは真珠湾への入港を中止して日本海軍の艦隊を捜索したが発見できず、燃料補給のため攻撃の翌日の日没後、灯火管制下の真珠湾に帰投した。 真珠湾に帰還したエンタープライズ座乗のハルゼー中将は、他の損傷した戦艦群や格納庫の残骸を見た後、普段はエンタープライズがいる場所で横転しているユタを見て、複雑な表情を見せた上で次のようにつぶやいたという。「''われわれが奴らを始末する前に、日本語は地獄だけで話されるようになるだろう!''」〔ポッター, 41ページ〕。 翌日には周辺の哨戒行動のため出港した。そんな中、12月10日にオアフ島南方海面で日本海軍の潜水艦伊70を艦載機が発見、撃沈する。 日本軍がアメリカ領ウェーク島に侵攻(ウェーク島の戦い)すると、アメリカ海軍は空母サラトガにフランク・J・フレッチャー中将が座乗して第14任務部隊を編成、ウェーク島救援にあたることとなった。これに呼応し、エンタープライズ基幹の第8任務部隊(ウィリアム・ハルゼー中将)は遊軍として哨戒と支援を行い、空母レキシントン基幹の第11任務部隊(ウィルソン・ブラウン中将)は牽制攻撃のためジャルート環礁目指して12月14日出撃した〔『戦史叢書38』193ページ〕。太平洋艦隊司令長官代理ウィリアム・パイ中将はウェーク島の取り扱いの方針について海軍作戦部長ハロルド・スターク大将と合衆国艦隊司令長官アーネスト・キング大将に伺いを立てたところ、ウェーク島守備隊の士気を考慮したものの、「兵力の増強より撤退すべきだ」と指示された〔『戦史叢書38』203ページ〕。こうして、ウェーク島救援の動きは一気に終息に向かった。ウェーク島救援の本隊である第14任務部隊はもともと寄せ集め部隊で練度も十分でなく、12月23日の時点でウェーク島の北東約683キロ地点に達していたが、占領の報と相前後して引き返していった〔石橋、244ページ〕。 1942年1月11日、真珠湾を出港して南太平洋のアメリカ領サモアに向かう輸送船を護衛した。その後、空母ヨークタウンと合流して任務部隊を形成し、2月1日にマーシャル諸島・ギルバート諸島の日本陸海軍の基地に奇襲攻撃を行い、任務部隊に随伴していた巡洋艦が艦砲射撃を行った(マーシャル・ギルバート諸島機動空襲)。これらの爆撃と砲撃で日本陸海軍の港湾施設と飛行場、航空機に打撃を与え、艦船3隻を撃沈、8隻を撃破した。帰投中に攻撃を受けたが真珠湾に帰港すると修理を行い、ヨークタウンと分かれて単独で中部太平洋に出撃し、2月24日にウェーキ島を空襲、3月4日にはマーカス島(南鳥島)を空襲した。日本軍は2月21日の攻撃で「エンタープライズ級空母」1隻を撃沈したと大本営発表を行っている〔「写真週報212号」p.5〕。 4月8日、ドーリットル空襲に向かう空母ホーネットの護衛につき、B-25爆撃機を飛行甲板に搭載して艦載機の発着できないホーネットに代わって航空掩護を行った。ホーネットは目標から400マイルで爆撃機を発進させる予定であった。しかし、4月18日、日本軍の特設監視艇に発見されたため、600マイルで爆撃機を発進させ、両艦は撤退、4月25日に真珠湾に帰港した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エンタープライズ (CV-6)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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